竹田高等学校関東同窓会の歩み

 大分県立竹田高等学校は1897年(明治30年)大分県立大分尋常中学校(現大分県立上野丘高等学校)竹田分校として創立され、1900年(明治33年)に分離独立して改称した大分県立竹田中学校と、1908年(明治41年)創立の大分県立竹田高等女学校を前身とし、1948年(昭和23年)の学制改革で竹田中学校・竹田高等女学校・竹田商工学校の3校が統合されて新制大分県立竹田高等学校として現在に至る。

 岡藩の藩校由学館(1776年(安永5年)設立、のち修道館)跡地に立地する竹田高校は、「自律自尊 以て本分を果たさん、進取研鑽 以て文化に寄与せん、和衷協同 以て明朗に生きん」を校訓とし、楽聖(瀧廉太郎)・画聖(田能村竹田)を我らの師と校歌で称え、文武両道で気力・闘志・根性をスローガンにする大分県下3番目の歴史を持つ高校である。

関東同窓会は、1987年(昭和62年)5月30日、日本生命日比谷ビルで開催された第一回総会(関東在住の同窓生225名が参集)で発足した。それまでは、旧制中学、女学校、新制高校それぞれの同期会などはあったものの関東在住の竹田高校同窓生が一同に会する同窓会組織はなく、竹田に所縁のある近郊出身者で構成された同郷会「竹田会」が関東在住の竹田高校同窓生が集う受け皿を担っていた。

しかし同郷という地域意識と同窓という仲間意識には温度差があり、関東在住の竹田高校同窓生全体を受け入れる関東同窓会の立ち上げを切望する声が上がった。これを受けて1986年(昭和61年)に準備会が招集され、翌年5月に当会がスタートした。
準備会では会則の制定と組織運営の骨子となる5委員会(総務、企画、名簿、組織、広報)の設置を議論し、総会は春開催(竹田会は秋開催)となった。なお、名簿委員会は会員名簿作成後に発展解消、広報委員会は設立3年後の臥牛発刊から本格始動した。

 当会の特徴は、全ての活動が同窓生の献身的なボランティアで運営され、会員有志からの維持会費と総会出席者会費を原資とした独立採算会計と、総会を当該年の還暦学年と10年後輩学年が企画運営する当番幹事会制度にある。現状会員は2,000名規模、維持会員は500名超からの御浄財で運営されており、年二回発行の会報「臥牛」や、ホームページで幅広く情報発信を行っている。

 なお、当会設立時の経緯や関係者の苦労話などの詳細は、歴代会長/役員が臥牛1号、15号、31号、42号に紹介しているので参照されたい。

(記)平成31年1月




(補足)
歴代会長/幹事長:敬称略

1987年(S62年)-1988年(H 1年) 
初代会長 高宮 昇(S8年卒) 幹事長 長吉 泉(S26年卒)
1989年(H 1年) - 1993年(H 5年)  
二代会長 後藤 鉄石(S10年卒) 幹事長 長吉 泉(S26年卒)、
1991年(H3年)~池内 勇吉(S23年卒)
1993年(H 5年) -1997年(H 9年)   
三代会長 伊東 七五三八(S20年卒) 幹事長 佐藤 映之(S28年卒)
1997年(H 9年) - 2003年(H15年)   
四代会長 長吉 泉(S26年卒) 幹事長 西 誠(S30年卒)、
2000年(H12年)~用正 靖彦(S30年卒)
2003年(H15年)-2007年(H19年)  
五代会長 佐藤 映之(S28年卒) 幹事長 用正 靖彦(S30年卒)
2007年(H19年)-2011年(H23年)  
六代会長 用正 靖彦(S30年卒) 幹事長 松良 修二(S34年卒)
2011年(H23年)-2017年(H29年)  
七代会長 松良 修二(S34年卒) 幹事長 井手 得郎(S41年卒)
2017年(H29年) - 現在  
八代会長 菅  博敏(S40年卒) 幹事長 都 俊生(S44年卒)